前書
結成1983年 昭和、平成、令和を生き抜く 大阪名物ゆかいなロックバンド「餃子大王」メンバーの多くが現役教師ということでメジャーデビューせずに活動を続け、ボーカル森かずおをのぞく教師メンバーが校長、副校長、教頭になってもあいかわらずの少しあぶない、それでいて楽しい、心にひびくライブを展開し続けています。
バイオグラフィー
1983年 東京ディズニーランドができた年ですね。37年前です。大阪教育大学に進学した森かずおが軽音楽部でメンバーを集めました。メンバーが多すぎてそれぞれの出会いを語ると10000字を超えるのでかんべんしてください。
バンドのハイライト。
1983年 大学の軽音楽部内で活動。
わけわからん下品なオリジナル曲で学内では評判になる。
1984年 ライブハウス初出演!
大阪西成の「エッグプラント」このときのタイバンは、ソウルフラワーユニオン中川敬のニューエストモデル前身バンド「レモンスクイーザー」
1985年 「ヤンタ鹿鳴館」
「バナナホール」
「キャンディーホール」
「不思議の国のアリス」
「センサスホール」などの大阪のライブハウスで活動を続ける。
ヤンタ鹿鳴館主催のコンテストで優勝したりはするが、大阪でそこそこがんばっているバンドの域をでることはなかった。
1986年 当時大阪にあったライブハウス「ザ・バーボンハウス」にナイトギャラリーレコード森田氏の口添えで出演し、注目される。
1987年 森かずおら主なメンバーが大学を卒業、教師になる。
メンバーに、
アラブ人(現カメオ)
びびりんじゅん(現じゅんちゃん)
プリンス細川
ナゾの女キムチ
ジロー
元気ブラザーズ(あか&あお)等が加入したこと、教師の日常をうたったことでライブが面白くなり、大阪を中心に序々に人気がでてくる。
1988年 ソノシート無料配布ライブ(1回目バーボンハウス200人動員、2回目300人動員)とバーボンハウスのオールナイトライブを行うごとにお客さんが増えてくる。
このころ東京初ライブニューエストモデル、SOBらと法政大学で!
業界関係者からの接近が増える。
1989年 東京初ワンマン新宿ロフト 一瞬でソールドアウト。
この年、バーボンハウスでのライブをUKプロジェクトの第1号アーティストとしてアルバム『Live at The Bourbon House』をリリースし、1万枚を超えるセールスを記録。
数々のレーベル、事務所から接近があったが、
なぜUKプロジェクトからリリースすることになったか?
当時、かずおの勤めていた中学で事件が多発しており、UKプロジェクトの現在社長遠藤氏と会う束をしていた日も生徒が家出、遠藤氏は生徒が見つかり、事件が解決するまでファミレスで何時間も待っていてくれて、かずおが感激。契約にいたる。
ラジオ大阪で「餃子大王の青春ライブ」という冠番組がはじまる。
現役教師がバンドマン、しかもレギュラー番組を持つということで大評判になるが、いろいろマークもされる。
1990年4月 大阪花と緑の博覧会のオープニングライブイベントに参加。このイベントでTHEアルフィーにつぐ動員を記録。
1990年5月 大阪厚生年金会館大ホールでワンマンライブを行い、そのライブ盤をリリース。
1990年9月 スピッツ、ピロウズらと日比谷野音ロフトサーキットに参加。
1990年8月 大阪城野外音楽堂で餃子大王ファミリーのイベント開催。
1991年 関西TVで「ロッキンティーチャー餃子大王」という深夜番組がスタート。
1992年11月 大阪大学学祭オープニングアクトはなんとミスターチルドレンだったそのライブ餃子大王はメインアクトとして参加
1993年 かずおの弟ジローが東京転勤になり餃子大王をぬける。
かずおが、代わりに「だれか連れてきて」というと松本タカヒロ(Rollyや世良公則さんのバンドで現在活躍。ジャニーズWESTに曲提供もしてる)をつれてくる。
1994年 下北沢クラブQUEでワンマンライブをおこなうようになり、現在も継続している。
1997年 松本タカヒロは自身のバンド、タートルズが東京進出したため1997年頃に脱退。しかし、タートルズとしてのデビュー後も餃子大王のライブにはゲスト枠で参加している。
2002年 森かずお信太中学先生チームとしてクイズタイムショックに出演。準決勝でやぶれる。
2003年 ミナミホイール出演 2日目のサンホール 入場制限がかかり無茶苦茶盛り上がる。盛り上がりすぎで次の「スキマスイッチ」で出番が遅れました。
2004年 森かずおが中学校のギター部で指導した生徒たちのバンド、HUNGRY DAYSがコンテストの優勝を経てプロデビューすることになったときには、梅田バナナホールで餃子大王との共演ライブが行われた。再びミナミホイール出場この年は大阪MUSEまたも入場制限。
2005年 今も続くフェスOTODAMAの第一回目に森かずおが弾き語りで出場。
2006年 ブログ「森かずおの日記」スタートCD「なでしこ通り」をリリース大阪MUSEでイベントを行う教え子の松室政哉(現在オーガスタからデビュー)楽しんでいこうや西岡のバンド「インディカ29」 、ハングリーデイズを解散しのちに「ケラケラ」(のちにスターラブレイションを大ヒットさせる)になるメンバーが森かずおをくわえて「ALL WAYS」として場。 ケラケラの初代ボーカルは森かずおだった。ミナミホイールスペシャルエディションでなんばハッチに出演。
2009年 2月寺田町ファイアーループに初登場。
2009年4月 森かずお高校に転勤UKP20周年イベントに参加餃子大王もデビュー20年。
2011年 森かずおエフェクター作成を開始劇団「ババロアーズ」の「青春探偵」という劇の主題歌を作る。
2014年 アベノキューズモールにあるロックタウンで生徒と餃子大王のライブイベントをおこなう。
2017年 泉北堺地区PTA協議会指導者セミナーで泉大津でホールワンマンをおこなう大阪MUSE30周年ライブに出演。
コンセプト・スタイル
あくまで「ゆかいなロックバンド」
メンバー
森かずお – ボーカル・ギター
某高校数学教師。
軽音楽部顧問 顧問をする軽音楽部は大阪で一番優れた軽音楽部として「大阪芸術文化賞」を受賞全国的な大会での優勝も何度もする強豪軽音楽部大阪府岸和田市出身。
血液型O。
コンポーザー・ギタリストとしての才能だけでなく、瞬間的な閃きによるライブパフォーマンスは唯一無二。
MCとパフォーマンスに定評がある。
本人が自分を表すひとこと(一生、無我夢中)
金森しげお – ドラム
某中学校教頭(社会科)。
大阪市浪速区出身。
血液型O。
かつては「シマシマしげお」という芸名で、顔を赤白ストライプに塗っていたが、現在メイクはしていない。
パワフルなドラミングで幅広いジャンルをこなす。
本人が自分を表すひとこと(ワイルドだろう?)
じゅんちゃん – ベース
茨木市にある某小学校校長。
大阪市港区出身。
血液型A。
4代目のベーシスト。柔らかなベースプレイと辛口面白トークのコントラストが印象的なプレイヤー。
しげおとともに餃子大王のサウンドを支えている。
本人が自分を表すひとこと(groovy)
カメオ – キーボード・サックス・ボーカル
某教育大付属中学校国語科教師。
大阪府出身。
血液型O。
かつては「アラブ人」「ARABY」名義で活動していた。
卓越した技術と感性豊かなフレーズで餃子大王サウンドに彩を添えている。
実弟は元Pli:z、BLOWの野中則夫。
本人が自分を表すひとこと(ロック・コンプレックス)
元気ブラザーズあか – ダンス&シャウト・カズー・ふえ
大阪府岸和田市出身。
血液型A。
餃子大王のビラや、レコードジャケット、通信等はすべて彼が手がけている。
加入当時は大阪芸術大学の学生で、餃子大王のレコードジャケットを大学の卒業制作にし、現在は電通でグラフィックデザイナーとして働いている。
サンテレビジョンのキャラクターおっ!サンの声も担当する。
本人が自分を表すひとこと(迷える赤羊)
きたちゃん – ギター
某大手会社勤務。
元ダイナマイトジローズのドラマー。
1997年から2004年頃まで関西で活動。現在は関東在住。
餃子大王1のユーティリティープレイヤー。
現在も東京はもちろん、大阪でのライブにも出張で戻ってきた時などに参加している。
本人が自分を表すひとこと(五十にして五里霧中)
ここからは時々参加するメンバー
松本タカヒロ – ギター
元ダイナマイトジローズのギタリストで、ジロー脱退後に加入。
1994年にThe Turtles(ザ・タートルズ)を結成。
結成後は餃子大王と並行して活動していたが、タートルズが東京進出したため1997年頃に脱退。
しかし、タートルズとしてのデビュー後も餃子大王のライブにはゲスト枠で参加している。
現在は世良公則のバックバンドでも活動している。
プリンス細川 – クレイジーダンス・ボーカル
広島県出身。
血液型O。
1986年にライブで1曲だけ歌って、後は踊りまくるというスタイルで餃子大王に参加。
加入当時は塾の講師をしていたが、産休の先生に代わって中学校で保健の先生もしていた時期がある。
現在は広島の実家に帰って家業であるぶどう栽培を継いでいる。
なぞの女キムチ – ボーカル
餃子大王では唯一の紅一点メンバーで、現在は淡路島にすむ女優
プリンスと同じく、ライブで1曲だけ歌うスタイルで参加。
コメント
楽しいライブをやり続けます!
リリース
Live at The Bourbon House(1989年7月15日)
– ザ・バーボンハウスでのライブ盤。
最初はLPレコードとして3,000枚発売されるが、1ヶ月で即完売。
後にCD化されオリコンインディーズチャートで1位を記録。
ジャケットは当時学生だったあかの卒業制作。
5/3コーネン大ワンマン(1990年7月25日)
– 大阪厚生年金会館大ホールでのライブ盤。
忙しくてレコーディングする時間がないので、また!
ライブアルバム 満員の大ホールでもライブ!
当時の人気者ぶりが収録されています。
休み時間は何をしよう(1991年4月25日)- スタジオ・アルバム
初めての本格的レコーディングを体験。
ライブ・イン・太平洋ベルト地帯(1992年11月25日)
またまた!ライブアルバム MCが天才であることを証明しています。
問題作「インポ№1」収録
GOGO (1994年3月15日)
松本タカヒロが覚醒。ギタリストとして大活躍
俺はジャイアンスタジオフリーピープルで録音。
レコーディング中に北ちゃんが加入餃子大王Live2000ワンダフルパンダフル2000年の下北沢クラブQUEでのライブを
収録ギッシュ! (2002年11月27日)
森かずおが8チャンネルのMTRで録音
なでしこ通り(2006年) 初のミニアルバム
餃子大全集1(2008年) ベスト・アルバム
餃子大全集2(2011年) ベスト・アルバム
ビデオ
いよっ! 餃子大統領(1990年9月25日)
1993・5・3メモリアル さようならジローくん(1993年7月20日)
餃子大王 INTERVIEW
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