Interview with Akima Tsuneo (Rama Amoeba, ex-Marchosias Vamp)

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アキマ ツネオさんRama Amoeba (元マルコシアス・バンプ)のボーカルへのインタビュー

日本のGLAM ROCKは、どのように発展していったのでしょうか? Rama Amoeba (元マルコシアス・バンプ)のボーカル、アキマ ツネオさんにお話を伺いました。アキマ ツネオさんが音楽活動を始めたのは何年も前。マルコシアス・バンプで「BAD BOYS」の見方を変えられました。是非お読み下さい。


— 紹介


Rama Amoebaの世界観について詳しく教えて頂けますか? 


俺たちはグラムロック・バンドと言っているけど、それは音楽的な事ではない。見た目だけだ。だからグラムロックなんだ。 Rama Amoebaオールド・ロックン・ロール基盤にした唯一無二日本バンドだと思っている。


Rama Amoebaの各メンバーを紹介して下さい。 また、メンバーはどのようにして集まったのでしょうか。それぞれの出会いについて教えて下さい。


俺が新しくバンドをやりたかったから、俺が誘って始めたんだ。結成当時からのメンバーはVo、GtのアキマツネオとDrの大島治彦。大島とは以前のバンドのAKIMA&NEOSでも一緒にプレイしていた。途中で脱退したんだけどね。そして解散後に新しくバンドを始めるのにまた、誘ったんだ。Gtの吉田ブギーは2代目のギタリスト。初代の奴は1年ぐらいしかいなかったからけっこう長い。そしてBaのシンペイ。シンペイは加入してまだ2年ぐらいだ。


自分自身を好きな漢字一文字で表すと何ですか?


特に無し


漢字一文字でRama Amoebaというバンドを表すと何ですか?


それは難しい、わからない。


バンド名Rama Amoebaの由来と意味を教えて下さい。


よく聞かれるけどそれは全く意味がないね。なんかカッコいいかなと思って、それだけだ。あと、何にも属してない感じが欲しかった。俺たちの音楽を聴いてRama Amoeba という固有名詞として思ってくれたらと思ってるんだ。名前ってそういうモノだと思うんだ。人の名前だってそうだろう?


コロナはRama Amoebaにどのような影響を与えましたか?


全てのバンドがそうだろうけどライヴ活動がほとんど出来なくなった。フランス・ツアーも決まっていたけどもちろん中止だ。俺たちは活動を停止した事がなかったから、色々、考えたりレコーディングしたり悪くはなかったとは思う。でもこれ以上続くとキビしいなあ。


今までのRama Amoebaバンド活動でどのような事を学びましたか?


子供の頃の音楽を始めた初期衝動を思い起こさせてもらった。


音楽を作り始めたきっかけは何ですか? 何故バンドマンになたかったのですか?


音楽は嫌いだった。でもエレキギターがカッコいいと思ったんだ。それを弾くために音楽を始め、バンドもやっている。それは今でもそうさ。音楽自体はそんなに好きじゃないんだ。俺はT.Rex以外の音楽はほとんど聴かないんだ。


グラムロックヴィジュアル系の最大の違いは何ですか? 多くの海外の人々は、すべてのグラムロックバンドヴィジュアル系バンドであると考えています。 しかし、それについてどのように考えられていますか?


グラムロックはメイクして派手な服でロックン・ロールをやるという事だけだ。音楽的な表現ではない。それ以上の意味はない。グラムロックはU.K.の音楽ジャーナリストがT.Rexにたいして言った言葉なんだ。その後、派手でメイクしてるバンドはグラムロックと言われるようになった。そして、そのメイクもバンドごとで様々だ。音楽的には全然違うんだ。それだからムーヴメントとしては短命だった。だからグラムロック系とは言わないだろ。グラムロックのサウンドがとか言うのは間違ってるんだ。そんなものないんだから。ヴィジュアル系はもっと様式美的で音楽的にも共通する近い感じの香りがある。1つのカテゴリーだ。これはパンクとかヘヴィメタルとかみたいにね。 グラムロックの正しい後継者は初期のパンクロックだ。T.Rex やニューヨークドールズ、デヴィッドボウイと聴いて育った連中が始めた音楽だからね。彼らのほとんどはグラムロックが大好きだ。でもヴィジュアル系も外見はその後継者だ。ニューロマンチックとかを経由してね。彼らはT.Rexは好きじゃないと思うよ。マークボランが生前、自分のやっているのはオーディオ・ヴィジュアル・スペース・エイジド・ロックン・ロールだ!と言っていたんだ。


T.Rexマーク・ボランをご紹介いただき有難う御座います。人々は彼らを忘れてはなりません。そうそう、沢田研二さんのようなグラムロックの後継者となる日本人は誰だと思いますか?


沢田研二さんはグラムロックの後継者とは思わないな。誰もそう思う人はいないよ。グラムロックが流行した時にだけそのエッセンスを取り入れただけの話しだ。グラムロックの後継者は俺ぐらいだと思うよ。


それは興味深いです。なるほどね、 沢田研二さん は グラムロックの後継者 じゃない、私はそれをすべて間違って聞いたようですw。何故アキマ ツネオさんがグラムロックの後継者であると思いますか?私は本当に興味があります。 海外では80’s90’s日本のグラムロックについてあまり知られていないからです。


忘れてたけど、日本の初期のグラムロックバンドにルージュというバンドがあった。アルバム一枚しか出して無いけど。あと、バット69というバンド。これはメイクといってもキッスっぽかったかな。リザードの初期もグラムっぽかった。その後、イメージチェンジして、パンクっぽくなって東京ロッカーズの1つで成功している。その後、メイクしてるバンドはけっこうあるにはあったけど、当時の屋根裏というライブハウスとかに出てて、グラムではなくオケバンと言われてた。お化粧バンドの略称だね。でもそのままメジャーになったバンドはなかった。世の中がメイクしてるバンドは受け入れられてなかったんだ。俺たちは最初の頃、コンテストに出た時、メイクしてるからという理由で賞を取れなかった事もあった。その時は知らなかったけど、何十年後に当時の審査員の1人から、審査員長が演奏前からこのバンドは対象外にしろと言われたとの事だった。


JRNRメモ: ヴィジュアル系バンドマンが 「ヴィジュアル系」と呼ばれたくない理由が分かりました。 本当に大変そうですね。


これまでの「Rama Amoeba」の一番の印象的なハイライトは何ですか?


これからじゃないかな、そう望んでるよ。


ライブをする上で一番楽しいことは何ですか?


オーディエンスが楽しんでくれてる事に尽きるね。


後悔している事はありますか?


全くない。


バンドマン活動を続ける上で何が一番の難しさですか?


メンバーのモチベーションが下がらないようにする事かな。常にバンドに未来があるように心掛けている。


— 海外ツーリング


2009年には、フランスとスイスにも行きました。 海外に招待されたきっかけを覚えていますか? また、どのようにして招待されましたか?


ちょうどメジャーからアルバム「Hello! End Of The World」が発売された時期で、その少し前に知り合った、フランスのバンドの人にこっちから相談したんだ。その人はバンドをやってるだけでなく、カメラマン、コーディネートも出来る人だったから。


2013年には、ニューヨークで演奏するためにアメリカに行きました。 どうやってそこでプレーするように誘われたのか覚えていますか? また、どのようにして招待されましたか?


ニューヨークは前のバンドでも行っていて、コーディネートしてくれる人がいるんだ。ジョニーサンダース&ハートブレイカーズのメンバーだった、ウォルター・ルーのバンドが一緒にツアーしてくれるとの事で行ったんだ。去年、ウォルターは亡くなってしまったけどね。


2018年にまたフランスに行ったんですよね? 同じ方に招待されましたか、それとも別の旅行代理店でしたか?


そう、同じ人だ。


海外で演奏していて、びっくりしたり、ショックを受けたりしたことはありましたか?


ヨーロッパはギター、ベースのアンプの音量を上げさせてもらえないんだ。これは大きな会場でもそうだった。その代わりP.A.エンジニアは優れている。会場にはカッコ良い音を出してくれていた。それから俺たちは日本でもステージ内での音量は下げているんだ。その方がベターなのを学んだよ。


JRNR メモ: そうそう、優れたP.A.エンジニアは、あらゆるアーティストが会場を最高の音や音量で満たすのに役立ちます。


あと、着いたその日にパスポート、お金、エアチケットが入っているカバンを盗まれた時は死ぬかと思った。日本総領事館、警察も全然、助けてくれないからな。


それはひどいですね! どなたがアキマ ツネオさんが探すのを手伝ってくれましたか?


同行者が助けてくれたよ。ホント大変だった。パスポートがないと警察は全く動いてくれない。総領事館はパスポートとなくしたなら警察に行ってリポートと書いてもらってこいという感じでタライ回しでどうにもならなかったよ。


言葉の壁はありましたか? それとも、24時間年中無休で翻訳できる人がいましたか?


翻訳出来る人はがいた方がスムーズで良いに決まってる。いつもはだいたい、翻訳が出来る人はが同行するけど、初めてのフランス、イタリアのツアーはいなかった。俺もメンバー、スタッフも英語も話せない。でもどうにかなった。イタリアでのライブ会場は北部の方だったから、ケータリングの人はドイツ語しか話せなくて、英語が喋れても無意味だったな。でも言いたい事は伝わったよ。その子はとても可愛かったからやりとりしてるのが楽しかったからさ。それでドイツ語での単語を教わった。それは今でも覚えているよ。


彼女はどんなドイツ語を教えてくれましたか?


水の事はオーだと教えてくれたよ。


オー(eau)は水を意味するフランス語です。 ドイツ語でwasserです。この言葉をいつ知ったのですか?2009年ツアー? 2009年 スケジュールを確認しました。 でも、フランスとスイスをツアー国としてしか見ていません。


この事は2009年。スイスで2ヶ所、プレイした内の1つで、スイスの北の方でその地域はドイツ語なんだと教えてもらったから、俺が勘違いしてるんだな。フランス語もドイツ語もわからないからね。


何年にイタリアに行きましたか? グーグルすると、イタリアについて何も見つかりません。このアルバム「マルコシアス・バンプルネサンス」に関する情報しか見つかりません。


イタリアはルネサンスのレコーディングの時と後はプライベートに遊びにいってる。ロンドンに行った時、帰りに立ち寄ったりした。


海外のLIVEで一番思い出に残ってることは何ですか?


日本から来た自分達の音楽でオーディエンスが楽しんで貰えてる。それが嬉しかった。海外で演奏して思った事は、日本人がやるロックン・ロールなんだからそこに日本情緒が感じられないとダメだと思ったよ。音楽的にね。


まだ日本のバンドのライブを見た事がない人のために、日本情緒のあるROCK’N’ROLLの雰囲気を教えて下さい。


それはラーマ・アメーバを聴いたらわかるよ。言葉じゃ説明は出来ないよ。


海外で一番好きな食べ物は何ですか? また、本当に食べたくない物はありましたか?


せっかく外国に行ってるんだからそこの食べ物を食べるのはいつも楽しみにしているんだ。だいたい、美味しいな、一番は決められないけど、イタリアのパスタ、ピザは次元が違うぐらい美味しいね。ただ、アメリカは美味しいと言われてる以外のモノは不味いモノが多かった。それは食べたくないね、化学的な味が満載で病気になりそうだ。


JRNR メモ: そうか、とにかく、ヨーロッパでも、一部のアメリカの食べ物は禁止されています。


— 音楽


80年代から音楽キャリアをスタートされました。当時と比べて音楽業界も大きく変化したと思います。特に変わった点は何だと思いますか。


音楽業界はバブル期だったからお金の動きが今とは比べものにならないね。1枚のCDを作るのに何千万円も使ってた。メジャーレコード会社の契約金もものすごい額で勧誘してきたよ。今はそんな体力がないな。良い体験はさせてもらったけどそんなにお金を使わなくても今はCDは作れるね。


ああ、CDをリリースする方が今は安いのですか?! 日本のCDはまだはるかに高価ですが、最近ではより多くの利益を上げていますか?


そういう事ではなくて、レコーディングの事だよ。昔は大きなレコーディングスタジオを使い、その使用料はすごく高かった。マルコシアス・バンプの頃はメジャーになって、すべてのアルバムをヨーロッパでレコーディングしていた。イギリス、フランス、イタリアとかね。ものすごくお金をかけていた。それじゃないと出来ない訳じゃないけどね。今はレコーディング機材が個人でも持てる時代だ。全然、お金とかけなくてもレコーディングは出来る。そういう事さ。日本は確かにCDは高いね。でももうCDは売れる時代じゃないね。それは海外の方がひどいかな。


JRNR メモ: CDの売上げはヨーロッパでも、かなり落ちています。 CDはもうあまり売られていません。 ほとんどが「ウェブストア」経由で店頭販売はかなり縮小しています(少なくともオランダでは)。しかしここにはLPショップがあります。 どういうわけかLPが再び人気があります。 (笑)


「日本のメジャー」バンドが海外にCDをレコーディングしに行った理由は何でしたか? 「利用できるスタジオが少ない」ためでしょうか?もし日本よりも安かったので海外でのレコーディングが必要だったのでしょうか?それとも海外でのレコーディング品質ははるかに良かったですか?


日本には十分なレコーディングスタジオはあったよ。スタジオも別に悪くない。むしろ、日本の方が良いと思うよ。そういう事じゃなくて、単純に俺たちが海外でレコーディングしたかった。当時のバンドにとって海外レコーディングは夢の一つなんじゃないかな? 良い音でレコーディング出来るんじゃないかとも思ったしね。そしてレーベルの方もCDをリリースするのに海外レコーディングしたという事がステイタスの1つになるからなんだ。わざわざ海外まで行ってレコーディングしたんだから、良いモノだろうというイメージ戦略かな。あの時代、アメリカでのレコーディングだと日本でレコーディングするより安く出来たりしたから、それでレコーディングしたバンドもたくさんあったね。でもヨーロッパでのレコーディングはすごく高かった。


どのようにして曲を作成しますか?また、曲を良い曲にするものは何ですか?


作ろうと思っては作らない。何故かそれは音楽はやっていない小さな頃からそういうモノだと思っていたんだ。ドライヴとかしていて、パッと浮かんだらそれを書き留める感じ。楽器を手にして作る事はないね。時間をかけて考え込む事はしない。それはあまり良い結果が出ないんだ。そしてバンドのメンバーとアレンジしていく。そこで思った以上にカッコ良くなる事がある。そこがバンドの良い所なんだ。


ファンに最も愛されている曲はどれですか? そして、何故そう思うのですか?


マルコシアス・バンプの頃の曲は30年経ってもまだ愛されているからその代表的なバラが好き、オレンジ色の月、ミッドナイト・シアター、フェイクとかかな。ラーマ・アメーバではWendyかな。自分の作った曲に順位はつけられないな。


歌詞と音楽を書くためのインスピレーションは何ですか?


日々の日常の中


05 – 音楽を書くのに好きな場所はどこですか?その理由は何でしょうか?


1人になれる場所ならどこでも。それだけだから理由はない。


4枚目と5枚目のアルバムはRama Amoeba自身のレーベルでリリースされていますよね? なぜ独立したのですか?


今の時代に適しているからさ。メジャーだから売れる訳じゃないし、今は流通はどこからリリースしても変わらないからね。面倒な事も言われたくないんだ。


レコーディングする際の最大の課題は何ですか?


その時の自分達の全てをレコーディングする。音質は毎回、課題を作って挑んでいるよ。良いサウンドのためにね。音質に関しては昔の方が全然、優れていた。それをいつも意識してる。


では、最近は音質が悪くなっているのでしょうか?何故そうなるのでしょうか?


それはデジタル・レコーディングのせいだ。みんな、その音ばかり聴いているから麻痺してるよ。アナログレコーディングでアナログ盤は素晴らしい音だ。デジタルのモノは聴いていても心が癒されない。大きな音だと頭が痛くなる。聴き比べたら誰でもわかるよ。


5thアルバム「ラビット」は11月25日にリリースされました。


ラビット」の最大のインスピレーションは何でしたか?


特にない。ただ俺の60歳の記念アルバムでもあるから、まだまだ新しい事にチャレンジしたかった。


ラビット」の「曲順」はどうやって決めますか?


曲を全てレコーディングしてなんとなくだね。良い流れで聴ける感じかな。


ラビット」ジャケットはどうやって決められましたか? ジャケットは可愛い猫の画像ですね!


ラビットだからウサギの写真と思ったけどウサギがあんまり可愛くなくて。耳が写ってなければ猫でもたいして変わらないからそれでOKじゃないかと。それはラビットの曲の歌詞的な考えとリンクしてるんだ。


アルバム名「ラビット」はどうやって決めましたか?


アルバムに特にコンセプトがある訳じゃないから、そういう時はアルバムの中の曲名にする事にしてるんだ。ラビットは覚え易いから良いかなと思って。


レコーディングはどうでしたか? コロナによる制限はありますか?


レコーディングのスケジュールは大幅に遅れた。リハーサルスタジオもクローズしてしまったから曲のバンドアレンジが出来なくてね。ただ、レコーディング後にフランス・ツアーの予定でみんなスケジュールが空いていたから遅れても問題はなかった。コロナのせいでレコーディングが遅れたからその間に良い曲も出来た。だからあまり問題なかったね。


— いろいろ


ファンが贈り物を選ぶべきなら何を受け取りたいですか。


特にない。どんな物でも嬉しいけど、形が残るモノは貯まっていくから遠慮したい。


どんな時に笑顔になりますか?


思い通りになった時かな。


日本の好きな地元の食べ物は何ですか?


地元ならもんじゃ焼。


東京部でお気に入りの場所はどこですか? 


どこって決まってないけど、迷路のような路地。最近、少なくなってしまってるけど。


これらすべての音楽の年で、最も貴重な思い出に残る思い出は何ですか?


イギリスでのマーク・ボラン生誕50周年のライヴに参加して、元T.Rex のメンバーと一緒にプレイ出来た事。


ミュージシャンとして直面した最大の分岐点は何ですか?


マルコシアス・バンプの時、イカ天というオーディション番組に出た事。これで状況が一変したからね。今でも俺にたいしての世間の印象はその当時の事だ。


オーディション番組の「イカす!バンド天国」では高評価を得ました。なぜ人々は考えを変えたと思いますか?


イカ天の前から、バッドボーイズと言われメイクしたバンドが注目されて来ていたしね。俺たちとジギーGDフリッカーズシェイディードールズとかね。


今演奏を始めているミュージシャンに何かアドバイスはありますか?


やるなら音楽を深く掘り下げる事。その方が全然楽しめる。あと、音質を突き詰める。どんなに良い曲でも音が悪いと聴いて貰えないからね。


ファンに向けて、アーティストとしての信念や座右の銘があったら教えて下さい。


音楽スタイルは絶対に変えない。


そして最後に、ファンと読者のメッセージをどうぞ!


ラーマ・アメーバをよろしくお願いします。



インタビューにご協力いただき、誠にありがとうございます。

I wanted to discover more about Japanese GLAM ROCK. What’s the origin and how did it develop? I asked Akima Tsuneo, the vocalist of Rama Amoeba (ex-Marchosias Vamp). He started his music career many, many years ago. With Marchosias Vamp he also changed the view of “BAD BOYS”. Please read on to discover such truths. 


Thank you very much for accepting this interview!

Can you tell us more about the worldview of Rama Amoeba?


We say we’re a GLAM ROCK band, but it’s not about the music, it’s just the way we look. That’s why it’s GLAM ROCK. Rama Amoeba is the ONE & ONLY Japanese band that is based on old ROCK’N’ROLL.


Please introduce each member of Rama Amoeba. Also please tell us how you met each other.


I wanted to start a new band, so I invited them to join me. The members since the beginning are vo&gt Akima Tsuneo & Dr, Haruhiko Ohshima. Ohshima and I played together in our previous band named AKIMA & NEOS, but I decided to quit with that band. After the break-up, I invited him again to start a new band.  Boogie Yoshida is our 2nd guitarist. Our first guitarist joined us only for about a year, so Yoshida has already been with us for quite a long time. And then we have Shinpei, our bass player, who has only been in the band for about two years now.  


Do you have a favorite Kanji, to describe yourself?


I don’t have any.


Which Kanji would you describe Rama Amoeba with?


Difficult, so I don’t know.


Please explain the origin and meaning of your bandname “Rama Amoeba“.


Many people do ask me this question, but it means nothing at all, I just thought it sounded cool. I just wanted to have a name which feels like that it/we doesn’t belong to anything. I want people to listen to our music and think of “Rama Amoeba ” just as a proper noun. I think that’s what names are for, that’s just what a name is, just like a person’s name.


What sort of impact did Corona had on Rama Amoeba?


As the case for all bands, we were unable to play most of our shows. We had plans for a tour in France, but of course that one was cancelled. But, we never stopped playing, we had time to think about various things and we continued recording, so it wasn’t so bad after all. But if this disaster goes on any longer, it’s going to be tough.


Did Rama Amoeba teach you something during all the activity years?


The reason for why I wanted to be a musician, it reminds me of the early urge I felt when I was still a kid.


What inspired you to start making music? Why did you want to become a bandman?


Well, I hated music. But still I thought that an electric guitar was so COOL! So I started playing music to play it and so I started to be in a band. I didn’t change at all, I don’t like music that much, actually I don’t listen to much music at all, the only music I listen a lot to is T.Rex.


What’s the biggest difference between GLAM ROCK and Visual Kei? Many overseas people think that all Glam Rock bands are visual kei bands. But what’s your opinion about that?


GLAM ROCK is just about wearing makeup and fancy clothes and playing ROCK’N’ROLL. It’s not a musical expression. It means nothing more than that. GLAM ROCK is what a music journalist in the U.K. said about T.Rex. After that, bands with flashy make-up were called GLAM ROCK. And the make-up varies from band to band. Musically, it’s totally different. That’s why it was short-lived as a movement. That’s why you don’t call it GLAM ROCK-kei. It’s wrong to say that GLAM ROCK sounds like GLAM ROCK. There is no such thing.

Visual Kei is more stylistic and has a similar musical flavor. It’s a category, like punk or heavy metal.

The right inheritor to GLAM ROCK is early PUNK-ROCK, because it was started by people who grew up listening to T.Rex, the New York Dolls, and David Bowie. Most of them love GLAM ROCK.

But Visual Kei is also GLAM ROCK’s successor in appearance. Via the New Romantic movement and so on. But I don’t think Visual bandman like/know T.Rex.

Also before Marc Bolan died, he said that what he was doing was; Audio-visual, Space Age ROCK’N’ROLL!”.


Thanks for introducing “Marc Bolan”, he should not be forgotten, Anyway are there any great Japanese people such as Kenji Sawada who are the inheritors to GLAM and Visual Kei? Names people don’t really know Overseas? 


Kenji Sawada isn’t the inheritor of GLAM ROCK. No one thinks so. It’s just some essence talk from the time when GLAM ROCK became popular. I’m the only inheritor to GLAM ROCK.


Wow that’s interesting. I see, Kenji Sawada isn’t the inheritor of glam rock, I seem to have heard it all wrong. Why do you think that you are the only inheritor to glam rock? I’m really interested. This is because little is known about 80’s 90’s Japanese glam rock overseas.


I forgot to say that there was a band called Rouge(ルージュ) in the early Japanese GLAM ROCK era. But they have only released one album. Also there was a band named ”VAT69(バット69)”, I guess they were more a KISS-like make-up band. Also the early days of “Lizard” were also GLAM-like. After that, he changed his image and became punk-like and succeeded to be one of the biggest Rockers from Tokyo.  

After that, there were only a few bands doing make-up, those bands appeared at a venue named “Yaneura” and those bands were called “Okeban” instead of GLAM. It’s an abbreviation for make-up band. But no band became a Major band anymore. The bands from that word were no longer accepted. At some contests we couldn’t even win a prize, because we were wearing make-up. Back then I didn’t know this, but decades later, one of the judges told me that the head of the jury told them to disqualify the bands before they even played!


JRNR Note: Oh, now I do understand why lot’s of vkei bandman don’t like to be called “Visual Kei”, that time was really hard. 


until now what’s your most memorable highlight of “Rama Amoeba“?


Well, I hope there will be a bunch in the future.


What’s the most fun thing about playing lives?


To give the audience a fun time!


Are there things you regret?


I don’t regret anything.


What is the biggest difficulty in continuing Bandman activities?


To keep up the motivation for everyone, to always need to find the future reason for the band. 


— OVERSEAS TOURING

In 2009 you also went to France and Switzerland. Do you remember how you got invited to play overseas? Also how did you get invited?


It was right around the time that our first album 「Hello! End Of The World」 was released by a major label, I was talking with a guy from a French band who I had met a while before. He was not only a bandman but also a photographer and coordinator.


In 2013 you went to America to perform in NY. Do you remember how you got invited to play there? Also how did you get invited?


I’ve been to New York with my previous band, and there’s a guy who coordinates it for us. We toured together with “Johnny Thunders & the Heartbreakers“, “Walter Lure” was a member. Sadly Walter passed away last year.


In 2018 you went again to France? Did the same person invite you or was it a different tour agency?


That’s right, it was the same person.


When playing overseas, were there things which surprised/shocked you a lot?


In Europe, they don’t let you turn up the volume of the guitar and bass amps. This was even the case at big venues. Instead, the P.A. engineers are excellent. They know how to make a concert sound amazing. Nowadays we also turn the volume down on stage in Japan. I’ve learned it’s better that way.


JRNR NOTE:  That’s right, good P.A. engineers can help any artist to fill the venue with the best all.


Also, I thought that I was going to die when my “bag” containing my passport, money and air ticket was stolen on the day I arrived. The Consulate-General of Japan and the police would not help me at all.


That’s horrible! Who helped you to find everything back again? 


My companion helped me. It was really a pain in the ass. Without a passport, the police wouldn’t do a thing at all. The consulate told me if I had lost my passport, I should go to the police and ask them to write a report, and they couldn’t help us without a report.


Was there any language barrier? Or was there 24/7 a person who could translate?


It’s always the best to have someone around who can translate. Usually there is a person around who can translate, but for our very first tour in France and Italy, there was no one who spoke Japanese. Also Neither I nor any of the members or our staff could speak English. But we managed it somehow. The venue in Italy we played at was in the northern part of the country and that part of Italy didn’t speak English at all, so the caterer could only speak Italian and German, so even if we could speak English it was pointless, but somehow we managed to communicate. But what I actually wanted to say; One of the caterer girls was very cute and I really enjoyed communicating with her. She taught me some words in German. I still do remember those words.


So which German word did she teach you? 


She did teach me “Eau” which means Water.


….”Eau”? That’s French, The German word for water is “Wasser”. So where did you learn this word? On the 2009 tour? I’ve checked the 2009 schedule, but I only see France and Switzerland as tour countries.


It was in 2009. We played at two places in Switzerland, I misunderstood it, because they told me that the North area is the German speaking area. But well, I don’t understand French nor German.


In which year did you go to Italy? When I google, I can’t find anything about Italy. I only found information about the album Rinascimento from Marchosias Vamp.


I’ve been to Italy for the recording of Rinascimento and later for Private visit. When I went to London, I stopped there on my way back.


What’s your most dear memory of playing overseas?


It made me very happy to see the audience enjoying our music from Japan. Whenever we played overseas, I thought because we are from Japan that we also should add a sense of “Japanese emotion” inside our ROCK’N’ROLL show. (musically speaking)


For those who never saw a Japanese band live yet, what’s the Japanese ROCK’N’ROLL atmosphere?


You can note that by listening to Rama Amoeba. I can’t explain it into words. 


What’s your favorite overseas food? Also was there anything you really disliked to eat?


I’m always really looking forward to eating the local food from the foreign country I visit. I can’t decide which dish was the best, but Italian pasta and pizza are so good that they taste as they are from a different dimension.

However the food from the USA isn’t delicious at all, and those things said to be delicious I don’t want to eat it, because they are full of chemical flavors etc, which make me sick.


NOTE: I see, well even here in Europe some food products from the USA are forbidden.


—- MUSIC —-


01 You guys started your own music career in the 80’s right? The music industry has changed a lot, what is the biggest change?


Back in the days the music industry was in the midst of a bubble economy, so the amount of money being spent was incomparable to what it is today. They spent tens of millions of yen to make a single CD. I’ve also solicited a tremendous amount of contract money from a major record company. I don’t have that kind of physical strength right now. But it was a good experience, but nowadays you don’t need to spend a lot of money to make a CD.


Oh so releasing a CD is cheaper now?! Japanese CD’s are still much more expensive, so nowadays they make more profit?


It’s not about that, it’s about “recording“. Back in the days we used big recording studios and the usage fee was very high. During my Major time with Marchosias Vamp, we went to Europe to record all our albums, England, France, Italy etc. Much money was spent and you had it to do that way. Currently everyone can buy their own recording equipment and start recording things. You can do that without spending (much) money. That’s how it is. CD’s are certainly expensive in Japan. However we aren’t in a world anymore which sells physical CDs right? How is it in Europe much worse?


JRNR NOTE: Well for the Netherlands there are almost “ZERO” CD shops. Most CD’s are only sold online. But we do have a bunch of LP stores. 


What was the reason why the “Japanese major bands” went abroad to record CDs? Is it because “there are few studios available”? Was it cheaper than in Japan? Or was the recording quality abroad much better? Or another reason?


Oh, there were enough recording studios in Japan, and our studios aren’t bad either. Rather, I think Japanese recording studios are greater. But it wasn’t like that, we just wanted to record abroad. Back in the days, one of a band’s dreams was to record overseas isn’t it? Also I was sure that an overseas recording would sound great. Also our label ranked up in status if a band would record a CD abroad. So it was also an image strategy, if you’ve gone all the way abroad to record something, you have to be an amazing band. Anyway, in those days, recording in the USA was cheaper than recording in Japan, so there were a lot of bands who went to the USA. However recording in Europe was very expensive.


How do you create a song also what makes a song a good song?


I don’t make them with the intention of making them. I don’t know why, but I’ve always thought of it that way, even when I was a kid and not doing music. It’s like I’m playing a show or something, and it just comes to me and I write it down. I don’t have an instrument in my hand. I don’t spend a lot of time thinking about it, because it doesn’t turn out very well. Then I arrange it with my band members. Sometimes it turns out even cooler than I expected. That’s the beauty of being in a band.


03 Which song is most loved by fans? And why do you think so?


The songs from Marchosias Vamp are still loved even after years

BARA ga suki (バラが好き)
Orange no Tsuki (オレンジ色の月) 
Midnight theater (ミッドナイト・シアター)
FAKE, etc And Wendy from Rama Amoeba is loved.
I can’t rank the songs listed above myself. 


What’s your inspiration for writing lyrics and music?


Daily life.


Favorite place to write music, and why?


Any place is fine whenever I can be alone. I don’t have a reason for it.


Your 4th and 5th album are released under your own label right? What made you decide to go independent?


It’s about doing the right thing in this day and age. It doesn’t matter if you are signed up to a Major label or not, distribution is the same no matter where and how you release it.


What’s the biggest challenge while recording a CD?


To record everything we have written. Also the sound quality is a challenge each time you record a new CD. Back in the days the sound quality was much better, and I am always aware of that.


How was the sound quality much better? 


It’s because of digital recording. People are numb to it because they’re listening to it all the time. Music which is recorded analog sounds much warmer. When I listen to digital recordings, my heart doesn’t feel healed at all. Loud noises make my head hurt. Anyone can understand it by listening and comparing. 


Your 5th album was released on November 25th.

What was the biggest inspiration for this album?


Noting particularly. It’s my 60th anniversary album, so I wanted to try something new.


How do you decide the “song order” on the album? Or are songs put randomly on the album?


It’s the order we’ve recorded all the songs. That order has a good flow to listen too.


How was the album jacket decided? The jacket photo is a cute cat!


I actually wished for a photo of a rabbit because the album name is “Rabbit”, but Rabbit’s aren’t that cute. So I thought, as long as a cat doesn’t have it’s ears on the photo, it wouldn’t make much difference if it was a cat, so I thought it would be OK.  It’s also linked to the lyrical idea of the “Rabbit” track.  


How was the album name decided? “Rabbit” (ラビット)


For this time there is no particular concept, so in such a case I use a song title of the album. Rabbit is easy to remember, so I thought it would fit well.


How did the recording go? Any restrictions because of Corona?  


Our recording schedule was delayed due to corona. The rehearsal studio was closed, so we couldn’t arrange the songs with the band. Originally we had planned to record the album and then go on a tour to France. So everyone made their own schedule free to go on tour, so that we couldn’t record it wasn’t a problem because we were able to record it anyway because the tour was cancelled and we were able to write some good new songs during that time too.  


— VARIOUS


If a fan should choose a gift, what would you love to receive.


Nothing in particular, I am happy with anything, but I don’t wish to receive anything that will last forever, because I’d like to refrain from collecting things.


What makes you smile?


When I get what I want, I guess.


What’s your favorite Japanese local food?


Local Monjayaki.


What’s your favorite place in Tokyo?


I wonder where the place would be, Tokyo is like a maze of alleys. My favorite spots have decreased a lot.


In all those music years, what’s the most valuable memorable memory?


Participating in the 50th anniversary of Marc Bolan’s birthday in England and being able to play with former T.Rex members.


What are some of the greatest challenges you have faced as a musician in your life?


At the time of Marchosias Vamp, I appeared on an audition program called Ikaten. This changed everything for me. Even now, the public’s impression of me is based on that time.


So because of Ikaten the mainstream audience changed their mind?


Yes, thanks to Ikaten, bands who were called “BAD BOYS” because they wore make-up, finally received attention, lots of positive interest!  With us were Ziggy, GD Flickers, Shady Dolls, etc.


What advice can you give to the musicians who start to play now?


If you really wanna go for it, dig deep into the music, then it’s much more enjoyable. Also, focus on the sound quality, no matter how good a song is, if the sound is bad, people will NOT listen to it.


As an artist, if there was one thing you want fans to remember (some words of wisdom), what would it be?


Music style, never change it!


And lastly, your message to your fans and readers!


Thank you for your support of Rama Amoeba.



Akima Tsuneo, Thank you very much for this interesting and teachful interview!

5th アルバム 「ラビット」セルフラインノート


1.Material Specter
・現在のラーマ・アメーバの象徴する楽曲だ。

2.High Girl
・単純明快ロックン・ロール。こういう曲が今の世の中に足りないと思う。

3.Come On! Come On!
・90sに沢田研二氏に提供した曲。自分でレコーディングしたのは初めてだ。

4.ラビット
・俺が最高に楽しいのはこういうロックン・ロールだ。歌詞の通快だ。

5.Tears Blue
・こういうシットリした曲はラーマ・アメーバではめずらしい。ロッカ・バラード。

6.ポニーテール (ponytail)
・日本情緒とロックン・ロールの融合。

7.No Cry No Shout
・サイケデリックでヘヴィ–な曲

8.オレを好きだと言ってくれ (Ore o sukida to itte kure)
・単純明快なブギー・ナンバー

Bonus track.■■■・ブギー (boogie)
・10年前にレコーディングした曲。俺はロックン・ロールの衰退を危惧しているんだ。だから子供達にロックン・ロールのビートを植え付けたいんだ。


Rabbit Self-liner-notes


1.Material Specter
・ Symbolizes the current Rama Amoeba.

2.High Girl
・Simple and straightforward ROCK’N’ROLL. I don’t think there are enough songs like this in today’s world.

3.Come On! Come On!
・A song provided to Kenji Sawada in the 90s. It was my first recording on my own. 

4.ラビット (Rabbit)
・It’s ROCK’N’ROLL how I enjoy the most. The lyrics are clear.

5. Tears Blue
・It is rare for Rama Amoeba to have such a quiet song. A ROCK ballad.

6. ポニーテール (Ponytail)
・A fusion of Japanese sentiment and ROCK’N’ROLL

7. No Cry No Shout
・Psychedelic and heavy

8. オレを好きだと言ってくれ (Ore o sukida to itte kure)
・Simple and clear boogie number

Bonus track.■■■・ブギー (boogie)
・I recorded this song 10 years ago. I’m concerned about the decline of ROCKNROLL. That’s why I want to plant ROCK’N’ROLL beats inside young people.

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